1.
初夏の昼下がり、低めのテーブルに向かい合って座り二人は眼前に積まれた宿題にいそしんでいた。
「なぁ、メイ。大丈夫か?」
ディランがメアリーに問う、ここまでにいろいろな事があった。それは彼女の心に大きな負担となっただろう。
「うん?宿題。かなりまずいけど、ディノ手伝ってくれないし。」
メアリーはひたすら問題を解いてノートに移していた。たまに答えも見ていた。
「そうじゃなくて、ジョンの事。」
そういうとメアリーは手を止めて、ディランの方を向く。
「それなら、あんたの方が大変でしょ?」
そういわれると返す言葉も無い。
「そうだけどさ・・・・。」
メアリーはまっすぐにディランと向き合った。
「大丈夫、あいつならちゃんとやってる。あたしも大丈夫。
 あんたには悪い事したと思ってるけど・・・。もう、皆大丈夫だよ。」
だな・・・、とディランも同意する。
もう、終わった。後はどちらも干渉しないまま、別のレールを進んでいくんだろう。
なら、それでもう充分だった。
「よし!早く終わらせて、なんか食いに行くぞ!」
           *     *     *
それはまだ梅雨のころ。
メアリーは幼馴染のディランの家でいっしょに留守番をしていた。

プルルルルル、プルルルルル

電話のベルが鳴る、お互いいつもの事だがどっちが近いとかで言い争いをする。今回は結局メアリーが出る事になってしまった。
「はい。もしもし?」
電話の主はディランの父ジェームズだった。彼は警察で働いている。
「あぁ、メイか。急に雨に降られてしまってね。どちらでもいいが傘を持ってきてくれないか?」
外を見ると、なるほど雨が降っていた。梅雨にはよくある事だ。
「持っていきますけど、次期が次期なんですから傘くらい持って出かけてくださいね。」
ジェームズは苦笑してわかったよ、と返事をする。
電話を切ったメアリーは今朝自分の持ってきた傘とジェームズの傘を持って出かけた。
ディランの家は治安はいいもののいまいち見通しが悪く、夜、しかも雨ともなると完全に真っ暗だ遠くの街灯目指して歩くが、ディランに頼めばよかったと後悔が先に立つ。
しばらく歩くと、道端にうずくまった影が見えた。
気分が悪いのか、口元を抑えていた。
顔は見えなかったが、メアリーは服で少女である事が分った。
ディランの母親が勤めている店の服だった。
「あっ『Honey×Honey』の新作だ。・・・じゃない。大丈夫ですか?」
少女だという、安心感からか、メアリーは警戒もなく近づいた。
肩を少し過ぎるくらいの髪が雨にぬれて首に張り付いている。
長い間そうしているのだろう。
その人はこちらを降る向く、その時カランと音がしたような気がした。
「えぇ、大丈夫です。ちょっと気分が悪くなっただけで。」
ふふ、と笑う。その笑いはだんだんとくつくつという含み笑いになった。
「あの・・、どうかされたんですか?」
少し警戒しながらもメアリーは傘を差しかけた。これ以上ぬれるのはあまりよくない。
いいえ、そう言って立ち上がるとメアリーに顔を向けていった。
「嬉しいんだよ。」
そう云うと、彼女は走り去って行った。
最後の低い声音が妙に気になった。

           *     *     *
「メイ、遅かったじゃないか。」
駅の前でジェームズさんが言う。
「自分で頼んでおいて、文句言わないで下さい。そこんとこディノに似てますよ。」
なんで、あいつのことを言わないのか自分自信も分らなかったが何となくであれ予感がしたのかも知れない。

歩いて帰る途中、メアリーは小さな不安と罪悪感に苛まれジェームズの話しにつく相づちは上の空だった。
「メイ。ディノとケンカでもしたかい?」
家も近くなったとき、ふとジェームズが言った。
「え?違いますよ。」
そりゃ、腹が立つやつではあれけど。というのは止めておいた。
「そうかい?なんだか、元気が無いからね。どうかしたかい?」
メアリーを幼少のころから見知っているジェームズにはやはり分るのだろうか。
「いえ、別に。」
笑顔を作ってジェームズに向ける。
嘘をつくのは身体に毒だ・・・。

ガチャ!
家に着いてドアを開けようとする前にノブが廻ってディランが凄い勢いで出てきた。
「父さん!」
ディランの形相は物凄く、只ならぬ雰囲気を醸し出していた。
「母さんが!母さんが刺されたって、それで!今病院に!」
メアリーはすぐには動けなかった。ミランダさんが?
ジェームズさんは足早にガレージへ向かい車に乗り込んだ。
「ディノ!メイ!早く乗りなさい。」
その言葉に2人は弾かれたように車の後部座席へと乗り込んだ。
           *     *     *
集中治療室の前に2人は居た。椅子に座ってドアを見つめる。
ドアの上の赤いランプが不吉に見える。
ジェームズさんはさっきドクターに呼ばれてどこかへ行ってしまった。
私とディランが残されて、とっても不安だ。
「ねぇ、ディノ。刺されたって、誰に?」
ディランはさっきから黙り込んでいて、私だけが何も知らない。
来た事も無い大きな病院で、この状態は凄く怖い。
嫌な想像が駆け巡ってしまう。
「わからない、多分通り魔だって電話で言ってた。」
通り魔・・・。ここら辺、治安は良かったはずなのに。
さっきの子ももしかしたら通り魔に?
もしかしたら・・・あの子が通り魔?

「父さん・・。」
ディランがはじかれたように、立ち上がる。
私もつられて立ち上がった。
「母さん・・・は?」
恐る恐るディランが聞く。ジェームズさんから帰ってきた声はあまりに重かった。
「今夜が、峠だそうだ。」
ディランがジェームズさんに駆け寄って服を掴んだ。
「なぁ!誰がやったんだよ!」
ジェームズさんがゆっくりとディランの拳を外した。
「分らないそうだ。でも、男という事は確からしい。
 ナイフがとても深く刺さっていて。とても女性の力じゃありえないそうだ。」
女性の力じゃありえないらしい。・・・、その言葉に少し安堵する。
じゃあ、あの子も襲われたんだろうか?
「あの・・・、ジェームズさん!」
私は恐る恐る、あの事を打ち明ける事にした。
「私・・、傘を持っていく途中に女の子に会って、その子道端で苦しそうにうずくまってたんです。もしかしたら通り魔に襲われたのかも。」
ジェームズさんは驚いたように私を見た。此処からは言葉を選んで話さなきゃ。
「その子を置いてきたのかい?ひどい傷のようだったら命に関わる。」
「でも、私が話し掛けると走ってどこかへ行っちゃったんです。」
あの台詞は錯乱でもしてたんだろう。
「逃げた?もしかしたら犯人と関わりのある子かも知れん。どんな子だった。」
あの子がこの事件に一枚噛んでいるのは間違いない。
確信はないけど、私の勘がそう継げている。
犯人であるなら庇い立てする必要はないのだ。もともと、他人である私がどうしてあの子に気を使っているかは分らないが。
「『Honey×Honey』の新作の水色を着てました。髪は濡れててよく分んないけど、肩口あたりで、あと・・・・目が凄い綺麗なブルーでした。」
その時、あたしはジェームズさんが驚いたような顔になるのがわかった。
もう、これは確信に値する。あの子は一枚噛んでいる。
「ちょっと、ここで待っていてくれ。」
ジェームズさんはそう言って、知り合いの刑事さんと一緒に小部屋に入った。
私は意気消沈しているディランを置いてその部屋のドアに近づき聞き耳を立てる。
幸いにもドアは薄かった。
「ジェームズ、残念な事に刺し傷はクローブス家のモノと一致した。やはり、十七年前の関係者じゃないのか?」
そうか、と頷くジェームズさんの表情は重かった。
「アレの報道は明日だったな?」
「ああ、確かな。」
はぁ、と長めのため息をついてジェームズさんは立ち上がった。
私は急いでもとの位置に戻る。

「帰ろうか。」
そう言った。ジェームズさんの顔はとても疲れていた。